日本学術会議は、学術上の立場から、元号を廃止し、西暦を採用することを適当と認め、これを決議する。
理 由
1.科学と文化の立場から見て、元号は不合理であり、西暦を採用することが適当である。
年を算える方法は、もっとも簡単であり、明瞭であり、かつ世界共通であることが最善である。これらの点で、西暦はもっとも優れているといえる。それは何年前または何年後ということが一目してわかる上に、現在世界の文明国のほとんど全部において使用されている。元号を用いているのは、たんに日本だけにすぎない。われわれは、元号を用いるために、日本の歴史上の事実でも、今から何年前であるかを容易に知ることができず、世界の歴史上の事実が日本の歴史上でいつ頃に当るのかをほとんど知ることができない。しかも元号はなんらの科学的意味がなく、天文、気象などは外国との連絡が緊密で、世界的な暦によらなくてはならない。したがって、能率の上からいっても、文化の交流の上からいっても、速かに西暦を採用することが適当である。
2.法律上から見ても、元号を維持することは理由がない。
元号は、いままで皇室典範において規定され、法律上の根拠をもっていたが、終戦後における皇室典範の改正によって、右の規定が削除されたから、現在では法律上の根拠がない。もし現在の天皇がなくなれば、「昭和」の元号は自然に消滅し、その後はいかなる元号もなくなるであろう。今もなお元号が用いられているのは、全く事実上の堕性によるもので、法律上では理由のないことである。
3.新しい民主国家の立場からいっても、元号は適当といえない。
元号は天皇主権の一つのあらわれであり、天皇統治を端的にあらわしたものである。天皇が主権を有し、統治者であってはじめて、天皇とともに元号を設け、天皇のかわるごとに元号を改めることは意味があった。新憲法の下に、天皇主権から人民主権にかわり日本が新しく民主国家として発足した現在では、元号を維持することは意味がなく、民主国家の観念にもふさわしくない。
4.あるいは、西暦はキリスト教と関係があるとか、西暦に改めると今までの年がわからなくなるという反対論があるが、これはいずれも十分な理由のないものである。
西暦は起源においては、キリスト教と関係があったにしても、現在では、これと関係なく用いられている。ソヴイエトや中国などが西暦を採用していることによっても、それは明白であろう。西暦に改めるとしても、本年までは昭和の元号により、来年から西暦を使用することにすれば、あたかも本年末に改元があったと同じであって、今までの年にはかわりがないから、それがわからなくなるということはない。